
岸田文雄政権は1日、「佐渡島の金山」(新潟県)を世界文化遺産に登録するよう、ユネスコ(国連教育科学文化機関)に推薦する方針を閣議で了解し、推薦書を提出した。韓国は「強制労働の現場だ」などと反発を強めているが、日本にはこれを否定する史料が複数存在している。岸田政権は1日、省庁横断型の「歴史戦チーム」(作業部会=タスクフォース)の初会合を開いた。あらゆる「客観的な証拠」を示して国際社会に理解を広げ、来年の世界文化遺産の登録決定を勝ち取る構えだ。
「歴史的な経緯を含め、今後のさまざまな議論に対応するために、省庁横断的な取り組みを強化する」「金山の素晴らしい価値が評価されるよう、韓国を含む関係国と冷静、丁寧に議論していく」
松野博一官房長官は1日の記者会見で、佐渡金山の世界文化遺産登録実現に向けて設置した、いわゆる「歴史戦チーム」について、こう語った。
対韓外交の最前線に立つ林芳正外相は「金山で強制労働が行われたかのような韓国側の主張は受け入れられない」と強調したが、「日韓関係に悪影響を及ぼさないよう誠実に対話する必要がある」とも述べた。
「韓国国会議長(当時)による『天皇陛下(現上皇さま)への謝罪要求』」をはじめ、「韓国海軍駆逐艦による海上自衛隊哨戒機へのレーダー照射事件」「いわゆる『元徴用工』訴訟をめぐる異常判決」「自衛隊旗(旭日旗)への侮辱」など、数々の「反日暴挙」を繰り返し、日韓関係を傷つけてきたのは文在寅(ムン・ジェイン)政権下の韓国である。
林氏には、毅然(きぜん)とした外交姿勢を求めたい。
確かに、佐渡金山では先の戦前戦中、朝鮮半島出身労働者が働いていた。ただ、内地に仕事を求めてきたケースが多かったようだ。別表は歴史資料のほんの一部だ。
当時の労働環境をまとめた佐渡鉱業所『半島労務管理ニ付テ』によると、現場では1940~42年の6次にわたり「募集」に応じた計1005人を受け入れていた。
その待遇は「基本的に日本人労務者と同じ」「稼働日数に応じ、各種の精勤賞与もあった」「勤続3カ月以上で団体生命保険に加入し、保険料は会社負担で死亡保険金300円が出た」「家族向け社宅や単身者向け寄宿舎は無償で貸与」「米や味噌(みそ)は廉価販売」などとある。
佐渡鉱業所が「募集」を始めた39年2月、「1村落20人の募集割り当てに、約40人の応募が殺到した」ことを記した別の史料も存在する。
大戦末期の44年9月、朝鮮半島出身者にも徴用令が適用されたが、翌45年には終戦を迎えた。
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麗澤大学国際学部の八木秀次教授は「徴用令は39年に公布され、内地の日本人全員に適用された。朝鮮半島出身者への適用は戦争末期だ。それまでは、自らの意思による出稼ぎ渡航も多かった。朝鮮半島出身者の受け入れ先は大企業で、徴用時に賃金額を明示して日本人と分け隔てなく待遇した。終戦時の混乱で一部で賃金の未払いがあったが、企業側は供託していた。1965年の日韓請求権協定で、日本側は韓国側に総額5億ドルを供与し、経済支援したが、徴用での未払い分もそこに含まれていた」などと解説する。
新潟県は、前出の複数の文献の存在を外務省や文科省に伝えている。
あとは官邸に設置された「歴史戦チーム」が政府が持つ新たな史料も加えて、冷静かつ大胆に韓国側に対峙(たいじ)することにかかっている。
新潟を地盤とし、自民党有志でつくる「保守団結の会」代表世話人の高鳥修一政調会長代理は「歴史的事実は1つしかない。隣国のように、大きな声を出せば真実が変えられるものではない。『歴史戦』は神経をすり減らす戦いになるが、70年ほど前の当時をありのまま記した史料や、伝承も残っている。こちらは正しい歴史を粛々と説明すれば、国際社会の理解は必ず得られるはずだ」と語っている。
■「佐渡金山」をめぐる史料の一部
「佐渡鉱業所 半島労務管理ニ付テ」(『在日朝鮮人史研究第12号』1983年9月に所収)
「平井栄一稿『佐渡鉱山史』」(1950年)