
(黒井 文太郎:軍事ジャーナリスト)
デモが続く香港の元朗区で7月21日、白シャツの男たちの一団が、デモの参加者たちを襲撃した。男たちは地元の犯罪組織「三合会」のメンバーらとみられている。
この暴力行為に対し、香港警察の動きがきわめて遅かったことから、三合会と香港警察の癒着を指摘する声も現地では多い。だが、警察は「対応が遅れたのは多忙が理由」として癒着を否定している。
ただ、彼らはカネで動く連中であり、なんの報酬もなく自発的にこうした組織的行動をすることはまず考えにい。何者かの依頼によってデモ潰しに動員されたことは疑いない。おおもとはおそらく中国政府ということだろうが、それこそ地下社会のネットワークを介してカネが動いたのだろうと推測される。
世界に広がった黒社会ネットワーク
では、この三合会とは何者なのか?
三合会は、香港最大の犯罪組織ネットワークである。香港には、紅衛兵残党など本土から流れてきた無法者たちを源流とする「大圏仔」と呼ばれる新興の犯罪グループなど、他にもいくつか犯罪組織があるが、それらを除いて三合会には約10万人のメンバーがいるとみられる。
三合会の起源は古く、17世紀にさかのぼる。元々は満州族の清朝支配に抵抗する漢民族の民族団体として発足した。1912年の清朝打倒と中華民国創設にも尽力したが、1925年に孫文が死去すると、中国全土で軍閥が割拠して秩序が崩壊。それに合わせて三合会もアウトロー化していった。
その後、1949年に中華人民共和国ができると、三合会は本拠地を香港に移転。香港を拠点に、麻薬密売をはじめ、犯罪組織が手掛けるほとんどの犯罪に手を染めるようになる。
ただし、現在は他国のマフィアと同様に、経済犯罪に主力をシフトさせつつあるようだ。最盛期の1950年代には香港に30万人程度の構成員がいたといわれるが、英国統治当局の取り締まりもあって、人数は3分の1にまで減少していった。
三合会はまた、世界各地に散った中国系移民社会にも根を張った。中国系マフィアを扱った欧米のメディア記事には、三合会の英語名である「トライアド」という言葉が頻出する。末端を合わせると世界中に合計30万人程度のメンバーがいるのではないかと推測される。
とくに勢力が強いのは、やはり華僑が根付いている町だ。たとえばロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク、ロンドン、マンチェスター、パリ、アムステルダム、東南アジア主要都市などである。ただし、
世界の中国系移民社会には、香港系以外に台湾系や本土系の黒社会も複雑に入り込んでおり、欧米の捜査当局やメディアが「トライアド」と呼んでいても、正確には香港を本地とする三合会との正確な区分が難しくなっている。
以上を整理すると、現在の三合会とは、香港を拠点として世界に広がった黒社会ネットワークということになる。ただし、日常的に国際的な活動を行っている組織はそう多くなく、香港の三合会のほとんどは地元密着型の組織である。
三合会を構成するビッグ3の組織
三合会はあくまでも“ネットワーク”なので、三合会という名称の元に統
制された1つの組織体があるわけではない。つまり、きわめて排他的・閉鎖的な中小の独立組織が、各地でそれぞれ縄張りを持っているのだ。それぞれの組織は伝統的儀式を重視し、疑似ファミリー化した鉄の掟で結束する。各地域での縄張りを地盤に活動しており、しばしば隣接する組織同士が激しい抗争をしている。
香港で三合会を構成する組織は50ほどあるとみられるが、現在、そのうち活動的なのは14組織とみられる。「新義安」「14K」「和勝和」の3組織が、いわばビッグ3といえる。それぞれがどんな組織なのかをみていこう。
・三合会の最大組織「新義安」
新義安は潮州系で、東南アジアをはじめ、諸外国の華僑社会に強い。創設は1919年で、創設者は向前。第2次世界大戦時に日本軍に協力して急成長したが、戦後、1949年に非合法化された。
首領の向前も台湾に逃れて、そこから組織を指揮した。やがて潮州人脈からの国際ネットワークを武器に香港でも復活し、現在の構成員は5万5000人という三合会の最大組織となった。組織のトップはその後、向前の息子の向華勝に移っている。
新義安は九龍地区に長く存在していたスラム街および九龍地区の繁華街を地盤とし、売春、賭博、企業恐喝のほか、東南アジアの「黄金の三角地帯」産出のヘロインの流通を牛耳った。
また、1980年代以降、香港映画界を長く支配した。ちなみに向華勝の実弟の向華強(チャールズ・ヒョン)は元俳優・監督の大物映画プロデュー
サーで、有力映画会社「三和」の経営者である。
1988年に中国共産党と接触し、以後、中国本土に積極的に進出した。三合会の各組織のなかでも最も中国共産党政権と関係が深いとみられる。
・欧米にも根を張る「14K」
1945年、国共内戦期に、国民党軍人人脈が広州で結成。結成場所の住所にちなんで組織名が付けられた。1949年の中国共産党政権の誕生で香港に本拠を移す。三合会の組織の中でも組織の統制が緩く、傘下の各組織の独立性が強い。
もともとは東南アジアからの麻薬密売を主としており、海外にも積極的に進出した。米国や欧州(中でもオランダ・アムステルダムの麻薬密売
ルート)にも広くネットワークを広げたが、海外進出の過程ではかなり暴力的な事件も多く起こしている。また、窃盗や偽造も手掛け、中国本土への盗難車大規模密輸も行っていた。一時は国際的にも三合会最大の勢力となっていたが、現在では縮小している。
現在の香港での構成員は推定2万5000人程度。九龍地区の繁華街や香港島の湾仔などを主な縄張りとする。もともと台湾の国民党人脈に近かった関係で、台湾マフィアとも関係が深い。
・麻薬密売の中核的組織「和勝和」
1908年、清朝の支配に対抗して伝統的な香港黒社会の幹部が集まって結成された「和合図」から、1930年に分裂して誕生した。土着の広東系で、やはり大東亜戦争中に日本軍に協力し、阿片売買で急成長した。
主な活動は麻薬密売と売春、賭博。とくに近年は麻薬密売の中核的組織になっている。荃湾および九龍の繁華街を本拠地として、マカオや深圳にも縄張りを持つ。ロンドンやマンチェスターを中心に英国華僑社会にも根を張っている。現在、香港での構成員数は数万人とみられる。
・和勝和の母体となった「和合図」
以上が香港の黒社会「三合会」のビッグ3だが、かつては和勝和の母体となった老舗組織「和合図」も加えて三合会の4大組織といわれていた。
この和合図は、そもそも三合会の母体となった組織で、前述したように1903年結成と、現在の香港の三合会系組織としては最も古い。本拠地は湾仔である。
1900年代からアメリカ進出を図っており、中国マフィアの先駆けでもあったが、近年は組織としては縮小している。現在、新義安と連携している。
襲撃グループは14Kと和勝和の末端メンバーか
以上のように、大圏仔などの大陸系グループ(大圏仔は欧米の地下社会にも広く進出しており、英語で「ビッグ・サークル・ボーイズ」と呼ばれている)などを除き、香港の黒社会の最大勢力こそが「三合会」であり、その三合会は実際にはさまざまな事実上の独立組織から構成されている。
なかでも有力なのが、ビッグ3「新義安」「14K」「和勝和」だが、中国本土との関係でいうと、新義安が共産党政権とはいちばん関係が深い。
しかし、本来、三合会はカネになることなら何でも手を出す犯罪集団であり、今ではどの組織も中国本土の黒社会あるいは中国共産党・人民解放軍の腐敗分子と密接な繋がりがあるものとみられる。
今回の香港のデモ隊襲撃については、襲撃グループは地元の黒社会のメンバーとみられるが、犯行が行われた元朗区はもともと14Kと和勝和の活動エリアである。香港紙「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」紙も、「襲撃グループに14Kと和勝和のメンバーが含まれていたものとみている」との警察関係者のコメントを紹介している。
今回の暴力事件は、三合会の中でもおそらくこの2組織にカネが配られ、末端のメンバーを暴れさせて、政治的なデモを暴力沙汰にエスカレートさせる卑劣な裏工作が行われたとみていいだろう。