Newsweek Nishikaku

<福島第一原発の処理水排出に中国が激怒している。「人類全体に対する罪」という一方的なニュースを洪水のように浴びている中国人が、「汚染水怖い! 日本ひどい!」と思うのはある意味無理からぬことだが、では日本はそんな中国にどう対処すればいいか>
福島第一原発の処理水放出について、中国が猛反発をしている。海産物の完全禁輸に続き、加工品についても使用を禁じた。公明党の山口那津男代表の訪中も、中国側の意向により延期となった。なぜこれほど激しく反発するのか、考えてみたい。
まず大前提として、ウクライナ戦争の勃発以降、中立〜ロシア寄りの立場を取っている中国は日本を含む西側諸国との間で距離(対立と言っても良いかもしれない)を広げている。
最近では麻生太郎氏の台湾訪問、日米韓の首脳会談による安全保障の強化など、中国政府が日本を警戒する出来事は断続的に発生しており、少なくともウクライナ戦争終結まで、この流れは変わらないだろう。中国にとって日本は安全保障の観点から見れば、アメリカに付随している「警戒対象国家」である。控めに言っても、「友好国」とは見られていない。
そんな国がメルトダウンの事故処理に使った水を太平洋に流すと聞いたら、ここぞとばかりに牽制するのは当然と言える。
中国政府にとっての最善手
また、中国経済は目下急速に悪化していると聞く。都市部の16~24歳の失業率は過去最悪の21.3%を記録し、不動産大手の恒大集団は米国で破産を申請。個人消費も鈍化している。
私は7月に上海を訪れたが、中国人の知り合いの一人は「景気は悪い」と断言し、「若者の将来が心配」と語っていた。あまり良くないとか微妙といった曖昧な言い方ではなく、ズバリ「悪い」と言い切っていたのが印象に残った。中国国内に渦巻く将来への不安感は、改革開放以来最悪、と言っても過言ではないはずだ。
国内の不満や内部矛盾を外交に転化させ、国民の危機意識を煽るというのは、どの国でも起こり得る常套手段だが、ことに中国では顕著に見受けられる。
さらに、日本に対する「外交カード」として長年機能していた歴史問題や領土問題が、近年あまり通用しなくなったとの指摘もある。確かに、それぞれ議論は出尽くした感があり、相手を説得させることはほぼ不可能と多くの人が感じているだろう(双方の国民とも)。靖国問題にしても2013年以降は首相の参拝は途絶えており、大きな火種にはなっていない。
米中対立、国内経済の悪化、歴史カードの効果減退……、といったところに汚染水が出てきた。
中国政府からして見れば、この状況で「中国人民のみなさん、日本の処理水は安全ですよ。心配には及ませんよ」などと宣伝してやる義理もなければメリットもない。
国民にはガタガタの国内経済から目を背けて欲しいだろうし、日本への警戒心も怠って欲しくない。爆買いからコロナ禍までの2010年台後半、訪日中国人の間では「日本人はみんな親切で良い思い出ができた」などと日本への肯定的な言説が明らかに増加していたが、こうしたムードを沈静化させる狙いもあったに違いない。
洪水のように浴びる反日ニュース
中国政府が処理水排出について「危険だ!」と主張する根拠は、「通常運転で発生する汚染水と、メルトダウンの事故処理によって発生する汚染水は、まったくの別モノだから」というものだ。
最初にこの主張を聞いたとき、なるほど、そう来たかと思った。両者の違いは、私にも正直よく分からない。原発関係の有識者の方々には、このあたりも詳しく解説して欲しいと思う。
原発やワクチンといった科学技術は、結局のところ素人(つまり大多数の一般国民)には「よく分からないモノ」だ。私はどうしているかと言えば、新聞などで最低限の理屈をボンヤリと理解した上で、「専門家たちがこれだけ大丈夫と言っているんだから、まあ大丈夫なんでしょう」という具合に決めている。
処理水についても同様だ。経産省ホームページでALPS処理の仕組みを眺めた上で、専門家や日本政府、東京電力がウソをついておらず、IAEAなど外部からのチェックが正常に機能しているという前提で、大丈夫だろうと思っている(「考えている」、という言葉を使えるほど詳しいことは分からない)
つまり、私も原発処理水の詳細なメカニズムや安全性の是非については、完璧に理解しているわけではないし、確証まではない。「浄化しているなら大丈夫だろう」ぐらいの漠然とした理解でしかない。
そう考えると、「日本が危険な核汚染水を放出した」「これは人類全体に対する罪」といったニュースをこの数日で洪水のように浴びている中国の人々が、「汚染水怖い! 日本ひどい!」と思うのはまったく無理からぬことである。
不足している中国語の解説
効果は限定的かもしれないが、中国・韓国向けの宣伝活動を日本はもう少し頑張っても良いのかもしれない。
たとえばの話、IAEA立ち会いのもと、水産庁や東電の職員がYouTuberのように「これから処理水の安全性を確かめてみたいと思います」と言って防護服を着用し、汚染水に含まれるさまざまな放射性物質の濃度を計測し、その後に浄化済みの処理水も同じく計測して「ご覧ください、ALPS処理水は確かに安全です」と語る動画を作成できないものだろうか。
言葉でいくら「浄化しています」と言っても、中国政府がそう簡単に日本側の説明を信じるとは思えない。ましてや、東京電力は事故後に虚偽説明を行ったという前科がある。処理工程の一部始終を動画で見せることができれば、説得力は高まるだろう。
ベタな方法だが、パフォーマンスと言われても良いから「岸田首相が処理水を飲む」のも一定の効果があるはずだ。岸田首相だけでなく、排出に強く賛成している堀江貴文氏など著名人や有志の一般国民が集まって「処理水を飲む会」を開いても良いかもしれない。
経産省の解説サイト「みんなで知ろう。考えよう。ALPS処理水のこと」について、日本語と英語しか用意されていないのも、非常にもったいない。強く反発しているのは中変更不能な「教義」
とはいえ、「日本は核汚染水の排出によって『人類に対する罪』を犯している」という主張は、もはや中国政府が決定した変更不能な「教義」となっており、論理的説明や議論によって覆せる段階ではなくなりつつある。
日本と中国は、国家の制度設計が根本的に異なる。13億の民を平和裡に統治するために、私たち西側諸国が当然の権利と捉えているものを、彼らは少なからず犠牲にしている。
韓両国なのだから、中国語と韓国語での解説は必須だろう。その一つが、「社会問題に対する自律的な判断」といったものだ。中国には現在、51基の原発が存在するが、原発建設の是非をめぐって議論が起きることはない。なぜなら、議論が起きるような情報は一切国民に出さず、さっさと作って運用してしまうからだ。
国民を不安にさせるような情報や、政府の決定に疑問を抱かせるような情報は、できる限り出さない。良し悪しは別として、これは中国政府が国家運営を行う上での大前提だ。そういうスタンスの国に対して「透明性の高い情報公開を行い、粘り強く説明責任を果たす」といった民主主義スタイルの働きかけをすることは、何かが根本的に噛み合わないのかもしれない。
不利なルールの「情報戦」
この件に限らず、日本を含む西側諸国では、社会問題について賛否両論のさまざまな立場の声が報道される。当然、自国政府に対する反対意見も報じられる。
中国はそうした意見をこれ幸いとクローズアップし、自説の補強に役立てる。今回も、排水に反対の立場を取る日本国内の漁連や有識者、風評被害に困っていると語る水産会社の声、排出反対のデモ活動などが集中的に報道された。結果、「日本国内でもこれほど多くの反対や懸念の声があるのに、日本政府は排水を強行している」とのニュースが大量生産されている。
中国という超巨大なフィルターバブルのなかで暮らす人々はさぞや不安だろうし、日本を憎みたくなるのも止む無しという状況である。
「情報戦」という言葉が使われるようになって久しいが、日本と中国の間で行われている情報戦は、片方だけハンドオーケーのルールでサッカーの試合をしているようなものだ。彼らは不都合な情報は自国内でどんどん削除し、相手チームの多様な言論のなかから都合の良いものだけピックアップして集中投下できる。
そんな相手と情報戦を戦っても、日本には勝ち目がない。せめて、引き分けに持ち込めれば上出来だ。
反中でも嫌中でもなく……
ではどうしたら良いのか。
結論から言うと、「あきらめるしかない」のだと思う。まったく意味がないのは、中国に対して憎悪を抱くことだ。反中感情や嫌中感情を煽ったところで、何の解決にもならない。
今後しばらくの間、日中間の距離は遠くなり、両国間の国民感情は冷え込むだろう。日本企業もこの数年の経験で、チャイナリスクを嫌というほど分かったはずだし、この流れだと日本製品の不買運動も起きるかもしれない。と思ったら、すでに化粧品の不買が始まっているという。
中国のネット上に流れている動画には、教室で教師が生徒たちに向かって「日本は人類に対する罪を犯した」と教え、日本を批判する作文を執筆するよう指導する姿が映っていた。今後、中国人の反日感情はさらに高まっていくだろう。
それは良いことだは思わないが、仕方のないことだ。民主主義の世界の住人と、全体主義の世界の住人では、どうしても分かり合えない部分がある。
中国人とどう接したら良いかというと、新興宗教にハマっている友人に接するような感じで向き合うことをお勧めしたい。
新興宗教を信じ切っている相手であっても、一緒にご飯を食べたり、普通におしゃべりを楽しんだり、笑い合ったり助け合ったりはできる。でも、触れてはいけない話題、触れたところで絶対に分かり合えない話題というものがある。歴史問題や領土問題に加えて、原発処理水の是非もその一つになるのだろう。
嫌悪したり嘲笑したりする必要はない。反中でも嫌中でもなく、「離中」あるいは「諦中」という態度が求められているのだ。