検索 メニュー

韓国の大ウソを暴く父・台湾人徴用工の資料

韓国が〝ベトナム虐殺〟で国際社会から糾弾か 生存女性へ3000万ウォンの支払い判決、被害者の提訴が相次ぐ可能性 松木國俊氏「国連で取り上げられる可能性」

韓国で売られるミニ慰安婦像、スマホケース

ダークモード ライトモード

徴用工問題の真実を明確に示せ

給与やボーナスも出ていた差別無し待遇

全国教育問題協議会 副理事長 恒﨑賢仁(東京都)

●意外な事実、給与だけでなく、賞与、奨励金、各種手当も差別なくきちんと支払われた

いわゆる徴用工問題で、当時の朝鮮人は虐待され、不当な差別を受けたと韓国側は主張しています。

韓国映画『軍艦島』(二〇一七年/監督:柳承完)でも、「強制徴用」された朝鮮人少年らが劣悪な環境で労働を強いられている姿が描かれていますが、これは韓国お得意の妄想、ねつ造の産物としか思えません。なぜか。

歴史の捏造ばかりの韓国映画『軍艦島』(二〇一七年/監督:柳承完)中国語版

私の父は台湾生まれで、日本で徴用された経験があります。過去の資料を見ると、意外な事実が浮かび上がってきます。

父、鄭新発は1924年6月8日、台湾の台北市で生まれました。

鄭根源(1889年2月7日生まれ、1934年9月6日死亡)と、李秀(1894年10月8日生まれ、1925年6月17日死亡)との間の四男として生まれました。苗字からわかるように、父親の一族は、近松門左衛門の国姓爺合戦でも有名な台湾の英雄、鄭成功(父は中国人鄭芝龍、母親は、長崎の平戸の日本人田川マツ)の一族、末裔であることを誇りに思い、死ぬまで日本に帰化することはありませんでした。

▲父・鄭新発の国籍許可証書(戸籍証明書)

鄭新発の母親は二歳で亡くなり、父親は十一歳で亡くなったので、台湾の台北の靴の製造業をしている親戚の家のもとで、高等小学校を出たあと働いていました。

十六歳の時に福岡県田川市で洋品店など商売をしている恒崎家の久右エ門が、台湾に靴の買い付けに来たのをきっかけに訪日、そのまま店員として働くことに。

▲① 昭和18年、台湾人の父・鄭新発に福岡県知事から送られてきた徴用令書

そして、一九四三年九月十七日に徴用令が来て、同年九月二十五日、列車で三菱の長崎造船所に行き、そこで働くことになりました。長崎造船所の給与は、一九四五年七月分まで給与袋があります。

原爆が投下された同年八月九日、他の工員の調子が悪いので早朝から船のタンクの溶接を行っている時に被爆、運良く、船の底のタンクの中にいたため九死に一生を得ました。

爆発音がすさまじく、耳が数分聞こえない状態だっただけで、原爆の後遺症などは七十八歳過ぎるまで何もなく、元気に毎日働いていました。


▲台湾人の父・鄭新発でも日本人とまったく同等に与えられた長崎造船所の慰労金や表彰記念金。韓国側の主張はまったくの誤謬であることの証明になっている

父は終戦後、一九五〇年頃に独立し、恒崎家の六女登久惠(一九二七年四月二十三日生まれ)と結婚。亡くなる七十九歳まで瑞芳商店という機械のリサイクル業を営み、成功して、現役で働き続けていました。

入院して約一カ月あまりの闘病生活の後、二〇〇三年八月十七日、肝臓と腎臓の病気で他界しました。突然発症した肝臓病の原因については不明なままでした。長崎の原爆の後遺症の可能性もあったようですが、ずっと元気でしたので、周囲の人が勧めても原爆手帳も被ばく手当なども「全くもらう必要がない」と固辞し続けていたのです。

子供は二男三女おり(筆者もその一人)、全員大学まで出して、孫も十三人いました。家族全員に見守られながら亡くなりました。今年で十七回忌の法要にあたります。

徴用先の長崎造船所のことは、原爆後のケロイド状態の遺体の安置作業についてなどは、余り口を開くことはありませんでした。ただ、給与だけでなく団体出勤賞や賞与などもきちんともらっていたこと、一緒に働いた日本人の工員とも差別されることなく仲良く働いていたことを生前話してくれていたことを覚えています。


父にとって長崎造船所で勤めていたことは誇りだったようで、機械や電気器具のリサイクル事業をしているとき、溶接技術がとてもうまいと納入先から褒められると、「三菱重工の軍艦をつくっていた長崎造船所で教えてもらった溶接技術だからね」と言うのがもっぱらでした。

台湾人の父・鄭新発でも日本人とまったく同等に与えられた長崎造船所の慰労金や表彰記念金

このような父を知っている私としては、韓国人や韓国政府の主張がまったく腑に落ちません。戦前の日本の企業は台湾や韓国の徴用工に対して、まったく差別することなく、給与や賞与、報奨金をきちんと支払っていたのです。国=官の仕事は一律ですから、地域差などあり得ません。あるとしたら、植民地台湾と日本本土と一体であった朝鮮との差、仕事の習熟度と勤務年数の差だけだったと聞いていました。

ところが、韓国人や韓国政府、特に文政権が歴史を捏造し、差別したとか奴隷にようにこき使われたなどと言って賠償金をゆすり、たかりを仕掛けている。

しかし、それは、韓国のねつ造であることを韓国人の良識的な学者も詳細な研究結果を発表しています。「元徴用工」問題をめぐり、国連人権理事会で、韓国側のウソを暴いた落星台(ナクソンデ)経済研究所の李宇衍(イ・ウヨン)研究員(52)です。李研究員は、文在寅(ムン・ジェイン)政権による異様な「反日民族主義」に異を唱え、「真実の歴史を回復することが日韓関係の改善につながる」と主張しています。

李氏は、戦時中の元徴用工ら朝鮮半島出身労働者の賃金体系などの労働状況について研究していますが、さまざまな資料から、韓国側の主張が歴史的事実とはまったく違うことを突き止めました。

▲② 三菱長崎造船所が作成した徴用工赴任心得。徴用された人々全員に徴用令書と一緒に配られたもの

スイス・ジュネーブの国連欧州本部で今年7月に、国連人権理事会のシンポジウムが開かれた。李氏は、朝鮮半島出身労働者が、長崎市・端島(はしま)炭坑(通称・軍艦島)で「差別的扱いを受けた」とする韓国側の主張について、次のように反論した。

「朝鮮人は奴隷のように使われたとする主張はまったくのウソだ」「ほとんどの朝鮮人労働者たちは自らの意思で日本に働きに行った。賃金面での民族差別もなかった」

李氏の主張が正しいことは、父の証言や長崎造船所の給与袋と明細書が、証明している。


▲③ 台湾人の父・鄭新発でも日本人とまったく同等に与えられた給与明細

李氏は、帰国後、「売国奴」「親日野郎」と襲撃され、唾まで吐きかけられたのですが、李氏の主張こそが、歴史の真実です。

韓国人は、恨みの情念ばかりを高ぶらせ、自国の政府や指導者の力量不足、失敗、内紛を自己反省することがありません。

ロシアや中国の植民地になりそうになったところを、日本に泣きつく形で併合することにした――それが歴史の実態ではありませんか。ところが、いつの間にかその歴史も歪曲され、負の側面だけを誇張、反日運動ばかりを行っている始末です。

このように見てくると、日韓の関係悪化は、韓国の歴史の捏造と歪曲された歴史教育に原因があり、さらに、韓国の主張に追従する朝日新聞や日本の反日マスコミ、野党にも大きな責任があると言えます。

以下、父が遺した資料を見ながら、若干の説明を加えていきたいと思います。

【徴用令書ときちんと支払われていた給与と奨励金や賞与】

「図①」は徴用令書です。昭和18(1943)年9月17日付で、当時の福岡県知事は、吉田茂(元首相とは同姓同名の別人)です。細目を見ると、

「従事すべき総備員業務を行う官営または管理工場もしくは指定工場の名称および所在地」(現代仮名に改めた。以下同)として「三菱重工業株式会社長崎造船所 長崎市飽浦町」

「従事すべき職業」として「●●●●(読み取れず)其の他軍需品の製造」

「従事すべき場所」は「長崎県」

「徴用の期間」は「昭和18年9月25日から昭和20年9月30日」

「出頭すべき日時」は「昭和18年9月25日午後1時」

「出頭すべき場所」は「三菱重工業株式会社長崎造船所 長崎市飽浦町」

とあります。

「図②」は徴用工赴任心得です。三菱長崎造船所が作成したもので、徴用された人々全員に徴用令書と一緒に配られたものです。いわば当時の作業マニュアルといったところ。

「集合並出発」「服装」「携帯品」「宿舎」「兵役宿舎」「長崎駅到着後の取扱」「入所その他」について注意書きがあり、それぞれに細かい規定が書かれています。

例をあげますと、「集合並出発」には「(二)出発および長崎到着までの行動は県側係官(引率者)の指揮に従うこと」とあります。「携帯品」の「(五)弁当」には「途中は各自用意のこと。尚到着後は当所にて弁当またはパンを用意する」とあります。

「図③」は給与袋です。筆者の父・鄭新発氏は長崎造船所に徴用されたが、給与以外でも団体出勤賞や賞与の他の報奨金等が支払われていました。

給与袋には昭和20(1945)年の4月分を例に取ると、賃料高85円43銭、請負利益金・奨励加給金60円25銭、臨時手当ゼロ、精勤奨励金4円50銭、家族手当ゼロ、忌引手当ゼロ、不就業手当ゼロ、兵事手当ゼロ、休暇手当ゼロ、家族手当ゼロ、防空手当ゼロ、皆勤手当1円71銭、兵役手当ゼロ、傷病手当ゼロ,生産増進慰労金15円50銭、合計167円39銭などの明細が書かれ、差し引かれるものとして、所得税16円5銭、健康保険10円50銭、退職積立年金保険3円85銭、立替金1円、下宿料寮費12円、治療費、団体会費三四銭、国民貯金17円、合計51円29銭で、現渡金116円10円となっている。

現渡金は、だいたい110円代が多く、賞与があった昭和19年12月は、134円35銭が現渡金だ。

今の金額に換算すると、20万円前後。決して低い額ではありません。

十分な給金が支払われていたことが、このことからも良くわかります。

●韓国の歪められた歴史観、世界一の親日国台湾と世界一の反日国韓国の違い

台湾が世界一の「親日国」であり、韓国が世界一の「反日国」であるのは、なぜでしょう。

台湾の人々は八田ダム(烏山頭ダムとも呼ばれる。1920年に着工し、30年に完成)に象徴されるように、日本の統治時代にインフラ投資してもらった恩を忘れていません。教科書にも載せて、すべての台湾の人々は、老若男女を問わず、八田ダムと八田氏のことを知っている。

八田ダムについて、元台湾総統・李登輝氏の次の言葉が見事に要約している。

「台湾に寄与した日本人を挙げるとすれば、おそらく日本人の多くはご存じないでしょうが、嘉南大しゅう(土へんに川、用水路)を大正9年から10年間かけて作り上げた八田與一技師が、いの一番に挙げられるべきでしょう。

台湾南部の嘉義から台南まで広がる嘉南平野にすばらしいダムと大小さまざまな給水路を造り、15万ヘクタール近くの土地を肥沃にし、100万人ほどの農家の暮らしを豊かにした人です」。

台湾では、韓国と違い、ダム以外でも、道路や学校教育の基盤をつくってもらったことをいまだに感謝の念を示し、教科書にも載せるなど正しい歴史教育を行っています。日本統治以前は、台湾の識字率は十数%に過ぎませんでしたが、一九四五年までには六〇%近くまで上昇しています。

このような日本の貢献は、韓国に対しても同様かそれ以上です。韓国の場合は、当時、貴族階級の両班や儒教学者は漢字を偏重しており、むしろハングル文字をバカにしていましたが、日本から赴任した教師たちが、日本語の平仮名・片仮名に相当するハングル文字の使用と教育を奨励し、普及が早まったのです。ところが、今、韓国ではその事実をひた隠しにしており、日本によって日本語を強要されたことだけを主張しています。

日本に統治された台湾、韓国、北朝鮮の識字率はそれ以前と比べいずれも急上昇していますが、フランス、英国、オランダの植民地とされたベトナム、カンボジア、ミャンマー、、インド、インドネシアなどは、1900年頃から1945年まで、識字率十数パーセントの数字にほとんど変化が見られません。いかに日本の統治が行き届いたものだったかが、この数字を見てもわかるでしょう。

さらに台湾と韓国の違いは、東日本大震災の時の義捐金の集まりでもよく分かります。台湾の人口は二千三百五十九万人に過ぎませんが、日本への義捐金、被災地への寄付は、三百億円近くまで達して世界一です。一方、人口が二倍以上である約五千万人の韓国では、四十三億円集まったという報道がありましたが、実際に日本赤十字に届けられたのは、約三十二億円。この差額は、何を意味しているのでしょうか。

韓国では、日本が朝鮮半島に対して莫大なインフラ投資をしたことを国民にまったく教えていません。当時東洋一だった水豊ダムや興南の肥料工場など数え上げたらキリがないのにもかかわらずです。

以前、産経新聞(2010年8月4日付)に、朝鮮半島・北朝鮮に残してきた日本の資産についての記事があったので紹介しましょう。

北朝鮮に残した戦前の日本「資産」開発のダムや工場など8兆円規模

戦前の日本が朝鮮半島に残した資産は昭和20年8月15日現在、GHQ(連合国軍総司令部)の試算で 891億2000万円 (当時のレートは 1ドル=15円)に上ります。このうち、北朝鮮に残した資産は462億2000万円で、現在価格に換算すると8兆円を超えます。

日本は朝鮮北部を主に工業地帯として開発し、今の韓国にあたる朝鮮南部を農業地帯としで開発しました。朝鮮北部では特に、鴨緑江水系の電源開発に力を注ぎました。

この計画を最初に思いついたのは、電気技師の森田一雄氏と土木技師の久保田豊氏です。大正13(1924)年、両氏は朝鮮半島の5万分の1の地図を見ながら、『鴨緑江の水を逆方向の日本海側に落とせば、巨大な電力が得られるのではないか』、と考えました。朝鮮半島の東側の急勾配に着目した発想でした。

この計画を大手電気化学工業の日本窒素肥料社長、野□遵氏に持ち込んだところ、野□氏も賛同し、その資金援助によって朝鮮北部の電源開発がスタートしました」。この水豊ダムが、日本によって建設されたこと、野□遵氏の貢献など、北朝鮮、韓国は、ほとんど知らない。台湾では、八田與一氏のことを教科書に載せ、八田記念公演も作られ、毎年慰霊祭をしているのとは、全く正反対なのです。

韓国は日本と一緒に戦った敗戦国の立場であり、米国のお蔭である意味、棚ボタの独立・建国ができたにも関わらず、戦勝国であるかのように振る舞い、歴史教育や統治時代の慰安婦問題、徴用工問題で歴史をわい曲、捏造し続けています。

近年は『軍艦島』というまったくのデタラメ・捏造映画まで製作しました。韓国、北朝鮮の教科書には、いわゆる徴用工に関する虚偽の写真が掲載されたことも発覚しています。当然、台湾の八田ダムと違って、水豊ダムや興南の肥料工場などのインフラ作りに貢献したことなど、教科書に全く載せていません。

日朝国交の回復後、朝鮮半島が統一されたあかつきには、日本は経済協力支援をやるものだと文政権は決め付けています。ですが、これまで述べてきたように戦前に日本が北朝鮮に残した資産の規模からいって、到底納得できるものではありません。

日本が朝鮮・韓国の旧宗主国だったからといって、丸抱えで面倒を見る必要はないのです。
日本の固有の領土、竹島の問題でも、歴史をわい曲、ねつ造して、戦後生まれの若者たちに間違った歴史教育を続けています。

●ウソは美徳  「嘘をつきとおせは、千坪の美田が手に入る」ことわざのある韓国

しかし、韓国を増長させたことには、日本側にも原因があり、反省すべき点が多々あります。具体的に言えば、朝日新聞を筆頭にして反日メディア(テレビ朝日や毎日新聞、TBS)と、日教組教育が反日歴史教育を行っていたことを是正しなかった責任です。

特に朝日新聞の教科書誤報問題(1982年、中国華北地域への「侵略」を「進出」と書き換えさせたと誤報した)を端に発した近隣諸国条項(近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること)の誕生や、従軍慰安婦問題に関して世界中にばらまかれた歴史の捏造の数々が、その代表例でしょう。そして朝日に対して何ら損害賠償させることなく、またいまだに廃刊や倒産させることもなく、世界中に朝日の「虚報の事実」を啓蒙喧伝する努力を日本政府と日本人が怠ってきたことは猛省しなければなりません。

朝日の虚報のために、韓国人の多くが、いまだに強制連行による慰安婦や強制徴用工だと信じて疑わないのです。

日本は、今回の「ホワイト国」除外措置をきっかけに、朝日新聞の過去の虚報責任を徹底的に追及し、反省・是正を促さなければなりません。

そういう意味において、ようやく日本も正しい歴史事実に基づいて、韓国がこれまで行ってきた数々の歴史のわい曲や捏造、無理難題の賠償要求に対して、言うべきことや反論・対抗措置を実行する。そのきっかけをつくってくれ、反面教師となってくれた文政権には、逆に、感謝の念を示してもいいかもしれません。もう日本は、韓国の勝手なゴールポストの移動を許してはいけないのです。竹島問題でも竹島の日の式典にも政務官レベルでなく、首相や大臣が出席して、韓国に返還請求をすべきだと思います。

韓国には「泣く子は、御餅を余計に一枚もらえる」、また「嘘をつきとおせは、千坪の美田が手に入る」「一緒に井戸を掘り、一人で飲む」という諺があります。

一方で、日本は「嘘は、泥棒のはじまり」と、親は子供に教えます。この違いが、今の日韓関係をよく表しているのではないでしょうか。

恒﨑賢仁 (つねざき けんじん)
1958年、福岡県生まれ。81年、慶應大学工学部数理工学科卒業。米国、イスラエルに約十年間、ジャーナリストとしてハイテクと宗教・国際関係の研究調査報道を行う。帰国後、タッチパネル・平面スピーカーなどの各種特許を取得IT関係のベンチャー企業を起業し、上場企業とのM&Aなどを行う。その傍ら教育再生活動、日本台湾の友好関係促進活動を行う。特に社団法人全国教育問題協議会副理事長(現任)として、平成11年(1999年)の日の丸・君が代の法制化と道徳教育を規定した教育基本法の改正平成18年(2006年)に尽力する。現在、株式会社ティーイーアイ(TEI)の代表取締役。

関連した記事